大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成2年(ワ)9360号 判決 1994年10月11日

第一事件原告

有限会社コウノ巧芸社

右代表者代表取締役

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

川原俊明

右訴訟復代理人弁護士

橋田浩

右訴訟代理人弁護士

久万知良

第二事件原告

喜界島酒造株式会社

右代表者代表取締役

上園田幸雄

右訴訟代理人弁護士

寺浦英太郎

第一事件被告・第二事件被告

千代田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

鳥谷部恭

右訴訟代理人弁護士

羽島修平

鈴木祐一

水野晃

上野光典

主文

一  第一事件原告及び第二事件原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は第一事件原告及び第二事件原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

(第一事件)

第一事件被告は、第一事件原告に対し、金八六三八万円〇二六〇円及びこれに対する平成元年四月一四日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(第二事件)

第二事件被告は、第二事件原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成元年一月一一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、第一事件原告が、第一事件被告に対し、火災保険契約に基づき、その保険金の支払を、右保険金請求権につき差押命令を得た第二事件原告が、第二事件被告に対し、差押債権の支払をそれぞれ求めた事案である。

(略称)以下においては、第一事件原告を「原告」と、第一事件被告・第二事件被告を「被告」と略称する。

一  争いのない事実等

1  当事者

(一) 原告は、生物標本の製作及び販売、博物館及び遊園地等におけるパノラマ施設の企画及び製作並びにホテル、食堂及び遊園地の経営等を目的とする有限会社であり、乙川一郎(通称名は丙山春夫である。以下「乙川」という。)は、昭和六三年七月八日、同社の代表取締役に就任した(甲三二の一及び二)。

原告は、福岡県朝倉郡杷木町<以下略>所在、林一二三(以下「林」という。)所有の建物を借り受けて、昭和六二年八月から、同建物に林所有の剥製に加えて原告所有の剥製を展示して「知られざる世界の動物館」(以下「本件動物館」という。)を開設した(甲一六、七八の四)。

(二) 被告は、火災保険及び自動車保険等各種損害保険を取り扱う株式会社である。

2  保険契約の締結

原告は昭和六三年一月五日、被告との間で、次の約定で、火災保険契約を締結した(甲一、二の一及び二、二五(なお、以下、特に断らない限り、甲号証として表示するものは、いずれも第一事件のものをいう)。以下、右締結に係る契約を「本件火災保険契約」という。)。

(一) 保険期間 昭和六三年一月五日午後四時から同六四年一月五日午後四時まで(店舗総合保険普通保険約款(以下「本件約款」という。)三三条)

(二) 被保険者 原告

(三) 目的所在地 福岡県朝倉郡杷木町<以下略>

(四) 保険の目的 別紙保険目的目録記載のとおり

(五) 保険種類 店舗総合

(六) 保険料 年額三八万三二八〇円(一二回分割払い)

(七) 保険金額 金一億〇四二五万一〇〇〇円

(八) 保険金の支払 被告は、火災事故によって保険の目的について生じた損害に対して、保険契約者又は被保険者が損害発生の場合の手続(右損害発生を被告に遅滞なく通知し、かつ、損害見積書に被告の要求するその他の書類を添えて、右通知から三〇日以内に被告に提出すること)をした日から三〇日以内に、保険金を支払う(本件約款一条一項一号、二六条一項、三一条)。

(九) 免責規定 (故意の事故招致)

被告は、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人(保険契約者又は被保険者が法人であるときは、その理事、取締役又は法人の業務を執行するその他の機関)の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害に対しては、保険金を支払わない(本件約款二条一項一号)。

(不実の申告)

被告は、保険契約者又は被保険者が損害発生の場合の前記手続(本件約款二六条一項)において、正当な理由がないのに、右提出書類につき不実の表示をしたときは、保険金を支払わない(同条四項)。

3  火災の発生

本件動物館は、昭和六三年一〇月一八日午前五時ころ、その中に在置していた動産類とともに全焼した(以下「本件火災」という。)。

4  原告の保険金請求

原告代理人弁護士川原俊明(以下「川原弁護士」という。)は、平成元年四月一三日、被告に対し、必要書類を添付して、別紙被災保険目的目録記載の保険の目的が本件火災によって全焼した結果、同目録請求保険金額欄記載の損害を被ったとして、合計金八六三八万〇二六〇円の保険金の支払を請求した(甲一一)。

5  第二事件原告は、昭和六四年一月六日、昭和六三年(ル)第三一二〇号債権差押命令(請求債権を昭和六三年八月二五日付け第二事件原告の乙川に対する金銭消費貸借契約による貸付金につき原告との連帯保証契約に基づく保証債務履行請求権金二〇〇〇万円、差押債権を本件保険金請求権の内金二〇〇〇万円とする。)を得たものであり、同差押命令は、平成元年一月九日、第三債務者である被告に、同月一〇日、債務者である原告にそれぞれ送達された(第二事件の甲一)。

二  争点(前記一2(九)記載の免責事由の有無)

(被告の主張)

1 故意の事故招致

本件火災の出火原因は放火であり、原告の代表取締役である乙川が右放火を何者かに指図して実行させたものであるから、本件約款二条一項一号にいう「故意の事故招致」に該当し、被告には保険金支払義務はない。

本件火災の放火犯人としては、放火により利益を受ける者という観点からみて、本件動物館内部の動産につき、本件火災保険契約を締結していた原告の代表者である乙川が考えられる。これを根拠づけるものとして、次のような事実が存する。

(一) 吉田某からの放火犯の情報提供

平成元年二月一〇日、吉田某から、被告福岡第一支店北九州支社に対し、本件火災は乙川が起こしたものであり、同人は、過去に北海道でもおかしなことをしたことのある要注意人物であるから、保険金を支払わないようにという電話があった。

(二) 夕張における火災保険金取得の前歴

乙川は昭和五七年四月ころから、北海道夕張市において民芸品店を経営し、同五八年一一月ころ、採算の悪化から閉店したものであるが、東京海上火災保険株式会社(以下「東京海上火災」という。)との間で、保険期間昭和五七年一二月一日から同五八年一二月一日まで(その後、更新されて同五九年一二月一日まで)、保険金額金九五〇万円とする火災保険契約を締結し(以下「夕張第一保険契約」という。)、同五九年四月一九日、加藤清(有限会社夕張芸術の里の名目上の代表取締役で、乙川のダミーである。)と東京海上火災との間で、保険期間を右同日から同六〇年四月一九日まで、保険金額合計金二五〇〇万円(うち収容商品一式については金一八〇〇万円である。)とする新規の火災保険契約を締結したところ(以下「夕張第二保険契約」という。)、右民芸品店は、同五九年六月一三日、不審火により全焼し(以下「夕張火災」という。)、東京海上火災は、乙川が夕張市への剥製の寄付の件に関連して作成した「ハク製納入確約書」を基礎資料として、合計金二六〇〇万円(臨時費用を含むが、収容商品一式については満額である。)の保険金を支払ったが、右収容商品一式というのは全て剥製であった。

しかし、右民芸品店は、昭和五八年一一月ころに閉店したものであるから、収容商品一式について金一八〇〇万円もの高額な保険金額を設定し、しかも夕張第一保険契約の保険期間中に契約者を変更してまで、夕張第二保険契約を締結することは不自然であること、前記「ハク製納入確約書」も、夕張第二保険契約締結の約一か月前に作成され、同人の損害立証の唯一の資料として利用されたのに対し、右寄付自体は、結局、履行されなかったこと、夕張第二保険契約締結から二か月弱しか経過していない時期に保険事故が発生したことに照らすと、夕張火災の一件は、乙川による保険金詐取であったことが強く疑われ、右事件と本件との間についても僅か四年しか経過していない。

更に、乙川は、本件保険目的である剥製が存在した旨の主張を補強するために、被告に対し、「原鶴『知られざる世界の動物館』に展示するまでの保存資料の移動並びに保管場所の経過」と題する書面を提出したが、右火災で焼失したとされる剥製についての言及が欠落しており、夕張火災による不審な保険金取得の前歴を意図的かつ作為的に秘匿しようとしたものといわざるを得ない。

(三) 乙川の本件火災直前の負債の状況

乙川は、昭和六三年一〇月ころ、合計金一億〇八五〇万円(①菊澤吉正に対して金六三〇〇万円、②第二事件原告に対して金二〇〇〇万円、③峠達に対して金三五〇万円、④日興建設株式会長渡辺満徳に対して金二二〇〇万円)もの負債を負っていたが、これは本件火災保険金額とほぼ一致するところである。

(四) 丁海秋子(以下「丁海」という。)による本件火災前日の剥製持ち出し

丁海は、乙川の信頼を得て、長年にわたって、乙川と共に日本各地を転々とし、同人が設立した幾つもの会社の経理担当者を務めるなどしていたものであるが、昭和六三年一〇月一七日午後〇時ころ、乙川の指示に基づき、赤帽福岡県軽運送共同組合久留米支部(以下「赤帽」という。)の近藤和喜(以下「近藤」という。)に、本件動物館から本件保険目的である剥製を運び出させていたものであり、この日が本件火災の前日であることからすれば、乙川において火災の発生を事前に知っていたものといえる。

また、丁海は、本件火災が放火によるものであると判明する以前にその出火原因を知っており、同女自身も、本件火災の発生を事前に知っていたものといえる。

(五) 乙川の被告に対する保険金請求の異常性

(1) 乙川は、本件火災後、直ちに被告から損害の立証書類の提出を求められたにもかかわらず、出火原因についての刑事捜査が活発に行われていた間は、なかなか保険金請求に着手しなかった。

(2) 乙川は、本件訴訟係属前の平成元年一二月ころ、本件保険金請求を委任していた川原弁護士をわざわざ解任して、右翼を標榜する者にこれを代行させ、平成二年初頭に右翼団体所属の者に本件保険金請求を別途委任し、本件訴訟係属中の平成三年三月にも、同様に、その他組織を標榜する者らをして本件保険金請求を代行させたところ、乙川の委任を受けたこれらの者は、被告の社長や役員に対し、面会を強要し脅迫的な行為による請求を幾度も企てるなどしたものであるが、これら一連の行為は、乙川が正当な法律上の手続では自らの権利と称する経済的利得を受領できないと考えていたことの現れである。

2 損害の不実申告

前記1記載の事実に次の各事実を総合すると、別紙被災保険目的目録記載の剥製のうち、少なくとも別紙持出等保険目的目録記載の剥製(同目録中、主張現在単価、点数及び請求保険金額の記載があるものを指す。以下同じ。)は、当初から本件動物館に持ち込まれていなかったか、本件火災の時点において乙川により外に持ち出されていたものであるから、本件保険金請求には、本件約款二六条四項にいう「不実の申告」があるので、被告には保険金支払義務はない。

(一) 偽造した「評価証明書」の提出

被告は、本件火災保険契約締結の際、その保険の目的の大部分である剥製類には確立した市場がないことから、保険金額確定のため、その客観的評価額について資料の提出を求めたところ、原告は、山本正夫(以下「山本」という。)を作成者とする申請書、申請受理書及び評価証明書の三部から成る鑑定書一式を提出したが、これは偽造であり、しかも各書類には期間を置いた日付が記載されている等、仰々しい体裁、書式からみても、被告を騙すためのものであった。

(二) 本件動物館に展示されたことのない剥製の存在

本件動物館には、ライオン(別紙各目録共通の符号(以下単にその番号のみを記載する。)82)、チーター(86)及びオオカミ(93)の剥製は展示されたことがなく、またイヌワシ(152)及びヒョウ(84)の剥製は、一度は本件動物館の売店に運び込まれたものの、時を経ずして館外に運び出されてしまったものである。

(三) 剥製の持ち出し

目撃された本件動物館からの剥製の持ち出しに限っても、乙川は、昭和六三年夏ころ、暴力団深山一家の橋本とともに、多数の剥製をワゴン車に入れて持ち出し、同年八月ころ、ステーションワゴンで剥製を運び出し、喫茶ポエムで駐車中、同所でシートをかぶせて隠し、本件火災の前、クロコダイルその他の剥製をトラックで運び出し、本件火災の前日である同年一〇月一七日、前記1(四)記載のとおり、赤帽に依頼して剥製を持ち出した上、その他にも、暴力団風の者とともに二、三回剥製を持ち出している。

(四) 乙川の説明における虚偽又は変遷

乙川は、本件保険金請求について、虚偽又は変遷する説明を縷々行っているが、そのような説明を行う乙川の動機、態度自体、別紙持出等保険目的目録記載の剥製が、本件火災当時に本件動物館内に存在しなかったことの証左である。

(1) 剥製の持ち出し及び減少について

乙川は、剥製の持ち出し及び減少の理由につき、当初は剥製の補修のため(後に一部焼却という説明も加わる。)であると説明していたのに対し、その後、他人に展示剥製の減少に気づかれるや、本件動物館内の展示替えによる錯覚にすぎないとした上、保険目的外の予備の在庫としての仮剥の存在という新たな説明を突如始めるに至ったものであり、その持ち出しの回数についても一回から二回へと変遷している。これらは、従前、原告側が被告に対して提出した資料や説明と全く両立しないものであって、このような明白な虚偽ないし変遷する説明を行った乙川の態度こそ、剥製の減少を裏付けるものにほかならない。

(2) 本件動物館内の剥製の具体的展示について

ライオン(82)、チーター(86)及びオオカミ(93)の剥製の展示について、乙川の説明は、当初、チーターのみが本件動物館内の「世界の動物コーナー」に展示されていたというのに対し、その後、被告に提出した書面では、右三体の剥製は全て同コーナーに展示されていたと変化している上、更に、同コーナーから標本室、ロビーへと場所を移動させたなどと変遷し、またヒョウ(84)やイヌワシ(152)の剥製についても、当初、展示していた旨の説明はなかったが、その後、ヒョウは右コーナーに、イヌワシはロビーに展示されたことになり、更に、イヌワシはあるはずのない大きな木に取り付けたなどと変遷しているが、これは本件動物館に存在しなかったものを存在するものとして説明しようとした結果である。

(3) 鑑定書の偽造について

乙川は、当初、前記2(一)の鑑定書に作成者として記載されている世界野生生物資料保存委員会は乙川と山本と二人だけの組織であり、後に山本から乙川に個人的に託されたかのように説明していたのに対し、その後、他に四六名もの委員がいた、山本は保険目的とする剥製の実物は見ていないが、以前に鑑定したフォーナランドの時の剥製とほとんど同じであることから、その際の評価額を流用したと説明の内容を変え、更に、以前の鑑定の対象となっていない林所有のヒグマ(32)についての評価額の算定については、混乱した説明を行うなどしているが、これらは、乙川が恣意的に作成したにすぎない鑑定書に関する説明が虚偽であることから生じたものである。

(4) 乙川は、前記のとおり、本件当時、多額の負債をしていたにもかかわらず、昭和六二年暮れから同六三年初めころには、借金はなかった旨の虚偽の供述をしている。

(五) 乙川の詐欺の前科

乙川は、平成四年六月一二日、松山地方裁判所において、二件の詐欺罪により、懲役二年四月の実刑判決を受けている。

3 そして、本件で持ち出し等されていた保険目的は、点数一九九点、請求損害総額金二七〇七万九〇〇〇円であり、本件保険金請求の約四割にあたるものであって、かつ本件動物館内に展示されていたことが明らかな剥製類は、これより更に少ないことからすれば、原告の記憶違いや勘違いということは考えられないのであるから、原告は、本件保険金請求において、現実に被った損害以上に保険金を取得する目的で、意図的に、被告に対する提出書類につき不実の表示をしたものである。

(原告の主張)

1 本件火災保険契約締結に至る経緯について

本件火災保険契約は、林が本件動物館の建物に火災保険契約を締結した際、被告担当者小田保険センターこと小田清登が、乙川に対し、再三にわたり、その契約加入を勧誘してきた結果、右動物館開設から数か月後にようやく契約締結に至ったものであって、原告から契約締結の申込みをしたものではない。

2 放火犯人について

警察の捜査が現在まで行われているにもかかわらず、乙川を放火犯人であると裏付ける証拠は全く存しない。

第三  判断

一  前記争いのない事実等に証拠(後掲各書証、証人丁海秋子、同藤吉彰子及び原告代表者)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

1  乙川の経歴等(甲二九の三、三二の一及び二、三三、三四、三五の一及び二、六一の一、六三、六七、七一、七五の三、七八の四、乙一一)

乙川は、昭和三七年ころから、剥製に興味を示しはじめ、以後、株式会社九四ハクセイ標本社、有限会社夕張の里本舗、株式会社光洋エンタープライズ及び原告会社等の実質的経営者として、全国を転々としながら、剥製の製作、加工、販売及び展示等を業とし、他に剥製を貸与又は売却するなどして、昭和四七年七月三〇日から大分市所在のフォーナランド(世界鳥獣館)において、昭和五八年六月一日から北海道夕張市所在の「知られざる世界の動物館」において、その展示を行っていたものであるが、事業の失敗等もあって、しばしば多額の借金を抱えることがあった。なお、乙川個人の本件前後の金銭の借入状況及び返済状況は、別紙「乙川一郎の時期別負債状況の推移」記載のとおりであった。

また、乙川は、本件以前に、傷害、鉄砲刀剣類所持等取締法違反等の前科を有していたほか、実質的に経営していた会社の資金繰りに窮した結果、平成三年四月には仏像建立計画の融資名下に金一五〇〇万円を騙取し、更に、同年六月にも剥製材料購入資金名下に金一四二〇万円を騙取した結果、詐欺罪により、同四年六月一二日、松山地方裁判所において、懲役二年四月の実刑判決を受けている。

2  夕張火災における保険金取得について(甲二九の一、四六、四九、七三の一ないし三、七四の一及び二、七五の一ないし三)

(一) 乙川は、昭和五七年四月ころから、北海道夕張市福住七番地一区所在の観光みやげ販売所「芸術の里直売センター福住店」(当該建物の所有者は乙川であったが、登記名義は当時乙川の妻であった乙川夏子としていた。以下「民芸品店」という。)において、民芸品を販売していたものであるが、営業不振などから、同五八年一一月ころ、これを閉店するに至り、以後、剥製等の保管場所として使用していた。

(二) 乙川は、従前、東京海上火災との間で、保険目的を右民芸品店、基本保険金額を金九五〇万円、保険料を金三万八九五〇円とする火災保険契約(夕張第一保険契約)を締結していたが、その後、同契約の保険期間を昭和五八年一二月一日から同五九年一二月一日までに更新した。

(三) 夕張市は、昭和五七年八月二七日、株式会社肥後相互銀行から、フォーナランドに展示してある剥製合計六七一点を金五〇〇〇万円で買い受ける傍ら(これらは、昭五九年五月七日までに全て納入された。)、また同年九月一日、乙川が代表取締役であった株式会社丙山プロ企画から剥製合計四一八点の寄付の申込を受け、内一四六点の寄付を受けた。しかし、残り二七二点の剥製については未納のままであったところ、株式会社丙山プロ企画は、昭和五九年三月、夕張市に対し、寄付の未納分であった剥製合計二七二点の納入を同年五月から開始し、同年一〇月三一日までに完了すると共に、夕張市購入分の剥製三一点の納入期限を昭和五九年四月三〇日とする旨の「ハク製納入確約書」(甲七四の一及び二)を差し入れた。

(四) 乙川は、妻夏子と昭和五八年二月二六日離婚したため、右建物の登記名義を弟子であった加藤清に移転したものであるが、昭和五九年四月一九日、東京海上火災との間で、右加藤を保険契約者とし、保険目的として右民芸品店のほか同建物収容の什器備品及び商品一式を加え、保険期間を昭和五九年四月一九日から同六〇年四月一九日まで、保険金額を合計金二五〇〇万円(建物について金六〇〇万円、同建物収容の什器備品について金一〇〇万円、商品一式について金一八〇〇万円)、保険料を金一二万九五〇〇円とする火災保険契約(夕張第二保険契約)を締結した。

(五) 右民芸品店は、昭和五九年六月一三日午前〇時三〇分ころ、建物内部から出火し、同店内は全焼するに至ったが、長期間空き家で火の気もないことなどから不審火の疑いがもたれたものの、警察署や消防署においては、昭和六三年一二月の段階でも、その原因を解明しえない状況であった。

(六) 有限会社大公社が東京海上火災に提出した鑑定書(甲七三の一)によれば、夕張第二保険契約の保険目的の一つである収容商品一式というのは、乙川が夕張市の剥製陳列館である「知られざる世界の動物館」に納入すべく製作又は保存していた剥製であるとのことであり、右会社の鑑定人が現場において責任者立会いのもとに、数量、種類、完成度合、収容形態等を調査した上、前記「ハク製納入確約書」等を参考にして、その目的を特定したものであり、同鑑定書を資料として合計金二六〇〇万円(建物については金四〇〇万円、同建物収容の什器備品について金一〇〇万円、商品一式について金一八〇〇万円、臨時費用金三〇〇万円)の保険金が支払われた。

3  乙川が被告に提出した剥製の「評価証明書」について(甲三の一ないし四、二一、三三、四八)

(一) 被告は、本件火災保険契約の締結の際、その保険の目的の大部分である剥製類が評価困難なものであったことから、保険金額確定のため、評価額についての資料の提出を求めたところ、乙川は、昭和六二年八月一日付け「生物資料認定書発行願い申請書」(同書面は、「世界野生生物資料保存委員会日本委員長 山本正夫」に対する申請の形式をとっている。)、昭和六二年八月二〇日付け「申請受理」と題する書面(同書面には、「世界野生生物資料保存委員会生物資料鑑定部」の記名押印が存する。)、昭和六二年一一月一〇日付け「評価証明書」(同書面には、「世界野生生物資料保存委員会日本委員長 山本正夫」の記名押印が存する。)を提出した。

(二) 山本は、神戸市立王子動物園の園長を定年まで勧めるなどして剥製に詳しい人物であったが、現実には右「評価証明書」作成には全く関与していなかった。

もっとも、乙川は、九四ハクセイ標本社(昭和四六年八月三〇日には株式会社となった。)を実質的に経営していた同四四年ないし同四五年ころ、山本と知り合い、乙川所有の剥製四〇〇ないし五〇〇点の鑑定評価を行ってもらったことがあり、右鑑定評価の際、山本は、個人名義よりも何らかの委員会名義で書面を作成した方が重みがあるものと考え、乙川と相談の上、「世界野生生物資料保存委員会」の名義で鑑定評価書を作成したが、これ以後、山本が同委員会の名称で活動したことはなかった。

以上の認定に対して、乙川の供述中には、山本方を訪問し、個々の剥製について口頭で説明した上、「評価証明書」作成の承諾を得た、そして、剥製の価値については山本の前記鑑定時よりも上がっていると考えたので、前記評価証明書にも当時の評価額をそのまま記載したとの部分も存するが、山本は、右「評価証明書」の作成への関与を明確に否定しているところであって、乙川の前記供述部分は到底信用することができない。

4  本件動物館の剥製の展示状況について(甲一七、一八、二二の一ないし三、二三の一ないし三、二四、三九ないし四二)

(一) 藤吉彰子(以下「藤吉」という。)は、昭六二年秋から同六三年四月ころまでの間及び同年九月から本件火災の前日までの間、本件動物館等において館内の掃除や入館者に対する剥製の説明等をして働いていたものであり、小江静子(以下「小江」という。)も、昭和六三年四月ころから同年九月ころまでの間、同所において入場料の徴収等をして働いていたものである。

(二) 藤吉が、昭和六三年九月から本件火災の前日までの間において、本件動物館の入館者に対し、剥製の説明をしようとしたところ、以前に働いていた時にはあった剥製が展示されていなかったり、みすぼらしい剥製に交換されていたことが再三にわたってあった。

そこで、藤吉は、乙川に対し、不審に思い、その理由を尋ねたところ、同人からは、補修のためであって、二、三日後には戻ってくる旨の返答があったが、実際には同女がこれらを再度展示したところを見たことはなかった。

(三) また、昭和六二年秋から本件火災直前までの間を通じ、本件動物館内にオオカミ(93)、ライオン(82)、チーター(86)の剥製が展示されたことはなく、イヌワシ(152)やヒョウ(84)の剥製についても、ガラスケースに入れた状態で本件動物館に運び込まれたことがあったが、三、四日後には喫茶店「ポエム」に持ち出され、その後右喫茶店から持ち出されたままで、再び本件動物館内に展示されたことはなかった。

以上の認定に対して、乙川は、本件動物館においては、剥製の展示替えを二、三回行ったことがある、その中にオオカミ、ライオン、チーターも含まれていた、展示替えのストックは、本件動物館内の奥の部屋(標本室)に保管していたなどとして、被告の主張する展示剥製の減少はそのためであるかのように供述しているが、他方、同人は、その展示替えの数としては、せいぜい総数で四〇ないし九〇点程度と供述するにとどまり、右供述が真実であると仮定しても、展示の大幅な変更とはいえず、この点は、利害関係のない第三者的立場において、小江及び藤吉が本件動物館の展示剥製が激減していた旨供述するのと明らかに矛盾するところである。もっとも、本件動物館における展示内容の詳細となると、小江及び藤吉の各供述はその述べられた時期によって完全には一致しておらず、また両人の供述の間にも若干一致しない点がある。しかし、同一人の供述であっても、原告側の提出に係る本件動物館内を撮影した写真を基準としたにすぎない場合(甲一七、一八)と被告側の保険目的を網羅的に記載した資料を利用した場合(甲二二、二三)とで、後者が前者より詳細なものとなったとしても特に不自然ではなく、また、小江と藤吉の各供述の若干の不一致も、観察の時点が必ずしも同じでなく、ずれが存する以上、当然のことともいえ、むしろ、その全体を時系列に従ってみれば、昭和六三年四月ころから本件火災の直前にかけて、本件動物館内の展示剥製が順次減少していったものと認められるばかりか、ライオン(82)、ヒョウ(84)、チーター(86)、カッショクペリカン(99)、フサホロホロチョウ(143)等比較的大きいものや、印象に残りやすいものについては、両供述間に完全な一致が認められるのであるから、その信用性は高いというべきである(なお、藤吉の供述によれば、同女は、本件動物館において入館者に対し展示剥製の説明役を務めるなどしていた関係で、図書館等において、自ら展示剥製の名前や生息地等を調査し研究するなどして、積極的に知識の獲得に努めていたことが認められるのであって、同女の供述の信用性において特に大きいものがあるということができる。)。乙川が弁解する他の多数の剥製の存在や展示場所の移動を最大限に考慮しても、剥製に深い関心を寄せる乙川に、これらの剥製についてまで記憶の混乱があったとも思われず、同人は右の剥製について明らかに虚偽の供述をしているものということができる。また、乙川においては、オオカミ、ライオン、チーターを館内のロビーに入館者の記念撮影用として一旦陳列して、また標本室へ戻したことが何度かあるなどとも供述しているが、このような比較的大きな剥製の出し入れを繰り返したとの供述自体が不自然である上、仮に右の供述どおりであるとすれば、これらの剥製が小江や藤吉の眼に一切触れないとは到底考え難い。更に、乙川は、本件動物館のオープン当初を除き、標本室は鍵を掛けて閉鎖し、展示替えのストックの剥製の保管場所として使用していた、本件動物館の展示剥製の管理はすべて丁海に任せていた旨主張するが、そもそも、標本室への保管の事実を裏付ける証拠は存しないし、藤吉は、標本室には電気をつけると浮かび上がるように見える親子の恐龍の油絵が飾られており、入館者を同室内に案内してこれについても説明していたと供述するところ、乙川も右の絵の存在自体は否定していないこと、丁海は、同女の供述によれば、展示剥製のウィンドーの鍵の所在すら分からないなど剥製の管理に関し、格別の知識を有していなかったことが認められること等に照らすと、乙川の前記供述は、裏付けのないものであって、到底信用することができない。

5  剥製の持ち出しについて

(一) 乙川は、昭和六三年六月ころから六か月間、本松常道から、同人の経営する酒店倉庫(福岡県朝倉郡杷木町大字松未所在)を月約金五万円で借り受け、右倉庫へ鞄材料の人口靴革、旅館で使用する人工芝のほか、剥製を四、五点ほど搬入していた(甲三八)。

(二) 乙川は、昭和六三年夏ころ、暴力団深山一家所属の橋本某とともに、剥製を自動車に積み込んだことがあったが、これを林に見咎められ、口論になったことがあった(甲一六、一八)。

なお、原告は、昭和六三年七月一〇日、被告に対して書面を提出し、本件動物館に展示してある剥製の手入れを乙川に依頼し、害虫被害(脱毛)のある剥製計一六点を取り外し、喫茶店「ポエム」内事務所に保管して、補修及び殺虫作業をしたこと、冷凍殺虫を要する剥製以外は同月一六日までに再度本件動物館に展示する予定であることを通知したが、これは、乙川が補修のため剥製の場所を移動させたことに対し、林から、自己所有の剥製の保険の関係上、その旨の通知を行うように注意を受けたことによるものであり、原告が、被告に対し、通知したのはこの一回だけであった(甲五の一及び二)。

(三) 乙川は、本件火災の前にも、修理のためと称して、クロコダイルやボア皮等の剥製をトラックで運び出したことがあった(甲一九)。

また、藤吉は、右「ポエム」の駐車場において、乙川の大型ライトバンの中一杯に、シートをかぶせた状態で荷物が積まれ、その中にキジの剥製が入っていたのを目撃したため、不審に思って、荷物の中身を乙川に尋ねたところ、乙川は仏像だけしか入っていないと虚言を弄して、剥製が積まれていることを隠そうとしたことがあった(甲二四)。

(四) 乙川は、昭和六三年一〇月一七日午前一〇時四〇分ころ。赤帽に電話を架け、福岡県朝倉郡杷木町志波から、当時松山市空港通りに所在していた原告方までの運送を依頼し、喫茶店「ポエム」の丁海のところまで行くように告げたところ、同支部に所属していた近藤が右運送にあたるべく、丁海のもとに赴き、同女の指示に従って、本件動物館から荷造済みのダンボール箱約一〇個、壺、お土産品の雑貨、観音像、額、扇子のほかにキジやタヌキ等の剥製数点を軽トラックに積み込んだことがあった(甲二〇、四五の一ないし三)。

以上の認定に対して、乙川は、少なくとも前記(一)ないし(三)記載の持ち出しは、剥製の修理のためであって、最終的に本件動館内に戻した旨供述しているが、他方、同人は、修理について外注したことはない旨明言しているのに対し、丁海は修理の外注の事実を認めているほか、実際上も、乙川とともに剥製の手入れを行った者(有田昌代)が存在する点で(乙五六の一及び二)、外注の事実を明確に否定する乙川の供述と必ずしも合致しないところであり(なお、右有田は、本件動物館の剥製の数は、焼却処分された五、六点を除き、オープン当初と何ら変わりないと供述するが、同女が本件動物館内の展示状況についてどこまで詳細に知っていたか不明であるし、加えて、小江及び藤吉の前記各供述に照らし、信用することができない。)、これらを総合すれば、右修理は、せいぜい有田の助力を得て館内において行われたと認められるにすぎず、右修理の外注のために剥製を館外に持ち出したとは認めるに足りないこと、逆に、前記4(二)(三)認定のとおり、乙川により持ち出された後、再度館内に展示されないままとなった剥製が少なからず存在すること、また、乙川の供述には、その修理期間の見込みに関する説明と実際の持ち出し期間との間に著しい齟齬があるほか、剥製の持ち出しに関し虚言を弄するなどしたこと等にも鑑みると、乙川の前記供述部分は信用することができない。

6  本件火災について(甲六、九、一六、一八、二六、二七、三八、六七)

(一) 本件動物館は、従業員が帰った後は無人となり、また本件火災発生後には、約五〇メートル離れた杉林の中からガソリン用の空き缶三個が発見されるなどしたため、本件火災直後から、乙川が借金の返済に困り、多額の保険をかけてその保険金を騙し取るために本件動物館に放火したとの噂が流れていた。

(二) また、吉田と名乗る人物から、平成元年二月一〇日、被告福岡第一支店北九州支社に対し、本件火災は不審火であるが、これは乙川が起こしたものであり、同人は、過去に北海道でもおかしなことをしたことのある要注意人物であるから、本件について火災保険金は支払わないようにされたい、吉田自身も乙川を詐欺行為で訴えている、という電話による情報提供があった。

(三) 捜査機関は、被告に対し火災保険契約の有無について照会したり、乙川や丁海に対し警察への出頭を求め事情聴取したりするなど、放火の容疑で捜査を行ったが、容疑者の逮捕にまで至らなかった。

7  乙川の被告に対する保険金請求の異常性について(甲五一の一及び二、五二ないし五九)

(一) 乙川は、平成元年三月二八日ころ、原告の代表取締役として本件保険金請求の事務を川原弁護士に委任したものの、同年一二月四日、自社で直接交渉するとして同弁護士を解任し、清水静観に右事務を委任したが、第一事件の本訴(既に取下げに係る平成二年(ワ)五六五四号債務不存在確認請求事件)が提起されると、平成二年九月二六日、再度川原弁護士に委任するに至った。

(二) ところが、乙川は、渡辺満徳、渡辺恵なる人物にも右保険金請求の事務を委任したため、被告は、平成三年三月ころ、全国自由同和会愛媛県連合会副会長と称する渡辺恵らから、乙川の内妻である戍野冬子が同会の会員であるとして、本件保険金請求の直接交渉を迫られ、同人らが、度々被告社長との面談を強要するなどの脅迫的な行為に出たため、被告代理人は、川原弁護士に善処を依頼した。

(三) これに対し、川原弁護士が乙川にその旨を連絡したところ、同人からは、原告代表取締役の職にあった内妻が同和会の会員であった関係上、渡辺恵に本件保険金請求の件を話したため、このような事態を招いたものであり、右渡辺に事情を説明し、今後は川原弁護士に前記保険金請求の事務を全面的に委任することにした旨の詫び状が送付されてきた。

8  焼失した剥製に関する原告側の説明等について

(一) 乙川は、昭和六三年一〇月二二日、被告関係者が本件火災現場の確認を行った際、同人らに対し、焼失した剥製類及びその陳列場所を示す配置図を作成した(甲八の一)。

(二) 被告は、昭和六三年一〇月二六日、原告に対し、本件火災により生じた損害の証憑書類の提出を求めたところ(甲一〇)、原告は、平成元年三月一日、自ら必要書類を提出し(甲七七の一ないし七)、また同年四月一三日には、川原弁護士を通じ、右書類として火災・新種保険金請求書兼支払指図書(甲一二)、罹災(届出))証明願及び同証明書(甲一三)、現在高並損害額明細書(甲一四)等を提出したが、右明細書には、被告の求めに応じ、剥製の購入(制作)年月、購入金額、購入(入手)先も記載されていたところ、その購入(入手)先を株式会社九四ハクセイ標本社とする剥製が少なからず含まれていた。

右明細書(甲一四)を別紙保険目的目録記載の剥製と対比すると、保険の目的については、ヒグマ(32、購入(製作)年月は昭和六二年六月と記載されている。)の記載が一旦削除され、その末尾に林からの委任によるものとして右ヒグマについて改めて記載されているほか、ホシガラス(15)、オジロワシ(67)、トラコ(88)、オオサマペンギン(129)、ハチクマ(163)の記載が欠落し、ハクビシン(48)、ウミアイサ(61)、オオトカゲ(ダイ、120)、イグアナ(123)の点数が各一点減少しており(乙川は、その理由として焼却処分したため、本件保険金請求から除外した旨を供述している。)、購入金額については、保険金額よりかなり低いものとされている。しかし、別紙被災保険目的目録記載の剥製と対比すると、ヒグマ(32)を除きこれと一致する。

もっとも、罹災(届出)証明願(甲一三)添付の損害額明細については、その購入年月については一律に昭和六二年八月、単価は別紙保険目的目録記載の保険金額により記載されるなど、前記明細書(甲一四)との不一致があり、また、右損害額明細(甲一三)を別紙被災保険目的目録記載の剥製と対比すると、クマタカ(169)の記載が欠落している。

(三) 更に、これら書類と同時に提出された乙川作成の「原鶴『知られざる世界の動物館』に展示するまでの保存資料の移動並びに保管場所の経過」(甲七八の四)には、昭和四五年から同六二年八月までの剥製の移動状況について記載されていたが、夕張火災に関する記載はなかった。

二1  以上の認定事実をもとに、被告主張の免責事由を認めうるか検討する。

前記一4及び5の認定事実を総合すると、本件火災の発生以前に、本件動物館に展示されていた剥製は乙川により徐々に持ち出され、右持ち出しに係る剥製の数も、必ずしも厳密には詳らかにしえないものの、相当な数に上るものであったと十分に推認しうるところであるが、乙川は、右持ち出しの理由に関し、人をして首肯せしめる合理的説明をなしえず、かえってその持ち出しを積極的に秘匿するなどの行動に出たことは前記認定のとおりである。そして、例えば小鳥の類のように小型の剥製について僅かな数量の差があるなどというのであればともかく、ライオン、オオカミ、チーター等の比較的大きく、主観的にも客観的にも価値の高い剥製についてまで、その館内における存否につき乙川の説明は前記認定事実と大きく食い違っており、乙川が自ら剥製の保守管理に当たっていたことをも勘案すると、かくも大きな齟齬が生じた原因は、同人の単なる勘違いや記憶違い等では到底説明がつかず、乙川が意図的に虚偽の説明をしたものといわざるをえない。

しかも、乙川には、保険の目的を移動させた場合の被告に対する通知の必要性を林に指摘されて認識していながら(前記一5(二)の認定事実)、多数回にわたって徐々に剥製を持ち出し、本件火災の直前までに保険目的を担当割合において移動させたにもかかわらず、一回しか通知を行わず、これ以外は事前はおろか事後的にも右通知を一切行わなかったなど、将来の保険金請求が不可能になる危険を冒してまで被告に持ち出しの事実を知られることを回避しようとし、本件保険金請求に当たっても、一旦委任した弁護士を解任してまで、右翼団体等と覚しき人物にこれを代行させるなど、不可解な行動も少なからず存するところ、乙川は、本件火災直前まで多額の負債が累積していき、その資金繰りが相当苦しかったのであるから、同人には損害の不実申告を行う動機もあったものということができる。

このほかにも、乙川の前科、密告の存在、近接する保険金取得の前歴、評価証明書の偽造の事実など、乙川による「故意の事故招致」の事実を疑わせるような事情も多数存するが、これらの点をひとまず措くとしても、少なくとも、以上の事実によれば、原告代表者である乙川は、保険目的であった剥製の相当数が本件火災当時に本件動物館内に存在しなかったことを知りながら、被告への提出書類に右剥製も本件火災により焼失したと虚偽の記載をして、過大な保険金を取得しようとしたものと優に推認することができるので、原告は、本件約款二六条四項にいう損害の「不実の申告」を行ったものということができ、被告には保険金支払義務がないものというべきである。

第四  結論

以上によれば、原告及び第二事件原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官中路義彦 裁判官瀨戸口壯夫 裁判官田中秀幸)

別紙<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例